田中たかあきの哲学ブログ

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ブスと美人の基準は人それぞれ違うから、絶望しなくていい

ブスだから死にたいというのは視野がせまい理由

ある人が、ブスなのか美人なのか、という判断は、世界中の人間それぞれが異なる。

だから、「自分はブスだ、鬱だ死にたい」と絶望するのはおかしい。

 

ある人にとってはブスでも、ある人からすれば超美人、ということがありうるのだ。

 

例えば、女子サッカーなでしこジャパンでキャプテンだった澤穂希さんは、ブラジルなど外国でモテモテだった。

実際、澤さんはアメリカ人の男性と付き合っていた。

サッカーのグラウンドから中に入るとき、外国人男性選手たちからジッと熱い視線を向けられていたことは、新聞にとりあげられるくらい有名な話だ。

スポーツ報道関係者の間では、澤穂希さんが外国人からモテるのは有名だったようだ。

 

このように、美人かどうかの判断は、それを見る他人によって変化する。

なぜなら、美人の基準は人それぞれだからだ。

 

なぜ、美人の基準は人それぞれなのか?

その理由は、人によって好みや欲望が違うからだ。

つまり、趣味の違いである。

 

ある人から見ればブスでも、ある人から見れば美人。

その逆もある。

ある人から見れば美人でも、違う人から見ると美人じゃない。

 

美の判断は、遠近法なのだ。

自分の好みに近いものは、美しく見える。

自分の好みから遠いものは、ブスに見える。

 

それゆえ、絶対的な普遍的な美人は存在しない。

なぜなら美の基準に絶対的なものなどないからだ。

絶対的な好みなど、存在しない。

 

だから、美人とブスは相対的である。

これが、美の相対性理論である。

 

人は、つい絶対的な美があると妄信してしまう。

それゆえ「自分はブスだ」と絶望して死にたくなったり、「自分は美人!」とうぬぼれたりする。

 

実際のところは、いかなる観点(パースペクティブ)で見るかによって、美人なのかブスなのかは変わる。

 

それは、ある見方から見れば丸い形に見えるが、別の角度から見れば三角に見えるようなものだ。

見方の違いが存在するがゆえに、美の概念の基準は万人に共通しない。

 

だから、「あなただけの」美が存在するのだ。

他の誰のものでもない。

あなたの美しさだ。

あなたの美はあなたの美だ。

他人には、それをたやすく理解する権利などない。

 

「ブスな自分が嫌い」

もちろんそれも1つの見方であり、1つの趣味である。

しかし、それはあくまで、1つの観点にすぎない。

別の観点が無限に存在するのだ。

 

その可能性を捨てるのか、捨てないのかも、あなたの決断である。

前提を疑い、自由な精神で世界を見渡せば、別の展望が見えてくるだろう。