田中たかあきの哲学ブログ

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結婚したら1つの価値観に縛られるから結婚したくない

結婚したら1つの価値観に縛られる

私は結婚したくない。一生独身で生きていこうと決めている。

欅坂46の『不協和音』での平手友梨奈さんのように、「僕は嫌だ!」と心の中で叫んでいる笑

その理由の1つは、多様な観点や価値観から世界を眺めて生きていきたいからだ。

 

というのも、1人の人間と同じ家で仲良く住むためには、相手と価値観を合わせる必要があり、一生ある特定の価値観の中で生きる必要があるからだ。

 

ある特定の1人を選び、その人と結婚すれば、一生その人と仲良くしなければならない。

仲良くするためには、相手と自分の価値観をできるだけ近づけて合わせて、調整する必要がある。

 

もちろん、どう生きるかは人それぞれだし、1つの価値観で生きるのは、もちろん素晴らしいと思う。

しかし私は、多様な観点から世界を捉えたい。

 

「こんな見方があったのか!」

「こんな価値観があったのか!」

そんな発見をどんどんしたい。

 

1つの価値観だけを見ると、他の価値観が見えなくなる。

1つの観点に固執すると、他の観点が隠蔽される。

 

1つの真理は、別の真理を隠蔽するのだ。

 

私は、哲学者でありたい。

哲学者は、精神の自由を持ち、多様な観点から世界を認識する冒険家である。

ニーチェが言った未来の哲学者は、できるだけ多様なパースペクティブを持って世界を認識する。

 

古代ギリシャでは、真理のことをアレーテイアと呼ぶ。

アレーテイアとは、「包みなく現れていること」である。

つまり、全てが露わになっている状態だ。

 

実際、【オイディプス』などのギリシャ悲劇では、1つの真理が別の真理を隠蔽する悲劇が描かれている。

真理によってたぶらかされ、別の真理を取り逃がし滅亡していく悲劇が示されている。

 

何が「善い」か、何が「悪い」のか、という価値基準も、遠近法によってなりたっている。

ある目的を持つ人にとっては善い行為は、別の目的を持つ人にとっては悪い行為であることがある。

何の欲望を持つかによって、何が善いか悪いかの判断は流動的に変わる。

 

1つの文脈のみしか見えないと、他の文脈が隠蔽され、別の意味を見失う。

文脈が変われば、意味も変わる。

1つの目的や1つの文脈に固執して、別の観点を失うことを、福沢諭吉は『文明論之概略』の中で、「惑溺」と呼んでいる。

 

環境に合わせて、大局や状況や流れに合わせて、物事を総合的に判断したい。

多様な観点で流動的に世界を認識したい。

それが、「私」の欲望であり、「私」の目的だ。

 

精神の自由や多様な観点を持ち、未来の哲学者でありたいと私は思う。

そのためには、一生1人の人間だけに心を砕くわけにはいかないのだ。

 

「悪い妻と結婚すれば哲学者になれる」とソクラテスは言った。

これは確かにそうかもしれない。

シラフに戻るからだ。

別の視点や価値観で世界を捉えるチャンスを得られるからだ。

 

明日はどんな新たな発見があるだろうか?

今まで見えなかった新たな遠近法があるだろうか?

可能性は危険でもあり、冒険でもある。

探求者でありたい。