田中たかあきの人生哲学ブログ

人生と人間関係をテーマに書いていきます

美人の基準は人それぞれだから、絶望しなくていい

美人の相対性理論

ある人が、美人なのか、そうでないのか、という判断は、世界中の人間それぞれが異なる。

だから、自分はかわいくないと絶望するのは早とちりである。

 

ある人にとってはかわいくなくでも、ある人からすれば超美人、ということがありうるのだ。

 

「おいおい、綺麗事を言ってんじゃないよ!」と思うかもしれないが、そうなのだ。

 

例えば、自分の国ではモテなくても、外国に行った瞬間、突然めちゃくちゃモテ始める人は後を絶たない。

本人も驚いてしまうことが多い。

 

このように、美人かどうかの判断は、それを見る他人によって変化する。

なぜなら、美人の基準は人それぞれだからだ。

 

なぜ、美人の基準は人それぞれなのか?

その理由は、人によって好みや欲望が違うからだ。

つまり、趣味の違いである。

 

ある人から見れば普通でも、ある人から見れば美人。

その逆もある。

ある人から見れば美人でも、違う人から見ると美人じゃない。

 

美の判断は、遠近法なのだ。

自分の好みに近いものは、美しく見える。

自分の好みから遠いものは、美人ではないように見える。

 

それゆえ、絶対的な普遍的な美人は存在しない。

なぜなら美の基準に絶対的なものなどないからだ。

絶対的な好みなど、存在しない。

 

だから、美人とは相対的である。

これが、美人の相対性理論である。

美人かどうかの基準は、百面鏡なのだ。

 

人は、つい絶対的な美があると妄信してしまう。

それゆえ自分はかわいくないと絶望してしまったり、「自分は美人!」とうぬぼれたりする。

 

しかし実際のところは、いかなる観点(パースペクティブ)で見るかによって、美人なのか、美人でないのかは変わる。

 

それは、ある見方から見れば丸い形に見えるが、別の角度から見れば三角に見えるようなものだ。

見方の違いが存在するがゆえに、美の概念の基準は万人に共通しない。

 

だから、「あなただけの」美が存在するのだ。

他の誰のものでもない。

あなたの美しさだ。

あなたの美はあなたの美だ。

他人には、それをたやすく理解する権利などない。

 

「かわいくない自分が嫌い」

もちろんそれも1つの見方であり、1つの趣味である。

しかし、それはあくまで、1つの観点にすぎない。

別の観点が無限に存在するのだ。

 

その可能性を捨てるのか、捨てないのかも、あなたの決断である。

前提を疑い、自由な精神で世界を見渡せば、別の展望が見えてくるだろう。

未知の景色を見るかどうかは、あなた次第である。